2014年1月24日金曜日


1964年、この槻田公団住宅の近所に越してきた。
当時、4階建ての集合住宅は社宅住まいの私から見るとハイソな建物で少し憧れがあった。

1960年代当時、100〜500の5棟のうち100〜200は小倉校区で、300〜500は八幡校区と言う複雑な線引きの地域だった。こんな狭い地域の中で小倉の住人と八幡の住人には何か違う物を感じていた。調べてみると、今は5棟とも小倉北区上到津になっていた。いつから線引きが変わったのだろう?

建てられてから50年以上経っているこの公団。痛みも酷く流石に住人はいないと思っていたが、まだ少数だが住んでいる方はいるようだ。いずれ取り壊されるのだろう。
見た目はそのままで内装をリノベして住んで見たい気はする。


5棟の内、1棟だけが取り壊され
更地になっていた。

ⒸKatsumasa Shibata(柴田勝政)



 
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