かつて八幡は文学のマチだった
黒崎の隣、藤田の長崎街道沿いにある「古本や檸檬」と出会った経緯はこちらの記事に書いてUPしたが、この日は、もっと本も見たいし、できれば村田さんにお話をお聞きしたいと再訪した。
お昼ごろにお店に入ると若い方が忙しそうに作業していた。きっと末の娘さんの旦那さんだろう。村田さんはいらっしゃらないのかと訊ねると、「ちょっと出ているけどすぐに戻るでしょう」という応え。それまでの間、棚を見て回ると、先日は気がつかなかった面白そうな本が山のようにある。
そうやって待っていると村田さんがお帰りになり、「また来てくれたんですね」と昔の話しが始まった。自分の生家のこと、戦前/戦後の思い出、昭和二十八年の大水害のことなどなど話しは尽きない。
やがて一冊の本を大事そうに持って来た。
回想
同人雑誌「鉄と花」で
秋山浩三と出逢って
秋山浩三というのは亡くなったご主人のペンネーム。
「500部の自家出版で出されたので、売ることはできないが……」とお貸ししてくれた。
表紙をめくるとこの素敵なイラスト。
ガリ版多色刷りの表紙で出された同人雑誌「鉄と花」創刊号なのだ。
ここでご主人と出会い、ご自分も作品を発表するようになる。
「当時、八幡では文学は若い者ならば、誰もが熱く語っていたんだよ」
「佐木隆三さんもいたね。鼻っ柱が強い人だったよ」
かつて八幡は文学の盛んなマチだったのだという。
まだまだお聞きしたいことがたくさんあり、これからしばらくは「古本や檸檬」へ通うことになりそうだ。
© Junichi Nochi(野知潤一)