2014年7月11日金曜日


子どもの頃、遊び場だった中央公園。
整備されて、ずいぶん変わった。

八王寺のここはカトリック幼稚園のすぐ傍だったし、近所に伯父の家もあり、同い年の従弟もいたので毎日のように遊んだ場所。

もともとフタコブラクダのような丘があり、それは古墳だった。
その間には、朝鮮部落があって、そこへ足を踏み入れるのは危ないと言われていた。
一種の結界のような感じで、子どもにもその得体のしれない危なさは感じられたので、行ったことはない。

そこも道路になり、二つあった丘の一つは削られて、総合体育館になった。

金毘羅池は、新池という名前だったが、毎年のように人が死ぬので「死に池」と呼ばれていた。高見中学からこの池を一周するコースは毎年の長距離走でよく走ったものだ。

金毘羅池から高見中学校へ道の途中には火葬場があった。
ぼくが小学三年生の頃、妹はここで白い煙になった。

1945年(昭和20年)8月8日の八幡大空襲では多くの人が失くなったが、その遺体はこの近くで荼毘にふされたと聞く。

今は北九州市民に愛されている中央公園だが、ぼくの中だけでも見えている景色とはちがう思い出がたくさんある。


© Junichi Nochi(野知潤一)
 
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