大蔵橋を渡ると羽衣町。
この界隈を歩くのは初めてなので、とても新鮮。
気になるこんもりとした森があったのでそちらへ向かうと、大蔵小学校の裏に勝山勝田神社があった。
さほど広くない境内だが、鎮守の杜の木々は太くて、森も深い。
およそ1700年昔、神功皇后朝鮮出兵の折、洞海湾にて船団をつくり、「大蔵」の地名の由来と云われる大倉彦神の治めていたこの大蔵谷より、皇軍の御旗竿として竹を伐り出した。門前に当たる場所には大蔵小学校が建っているが、江戸時代にはここで芝居や踊りの興行が催されて、人びとが集まり、楽しんだろうう。
その「めでたい」縁で、帰朝後「勝山」と名づけ、神功皇后みづからお社をまつられたと言われている。
筑前藩主、黒田守政公はこの勝山の名をめでて、藩主の旗竿とされ、代々の殿様の信仰あつく、祭礼の折、特に芝居や踊りの興行が許され、大蔵谷にとどまらず広く信仰された。
© Junichi Nochi(野知潤一)