ここは戦後、駆逐艦の「涼月」「冬月」「柳」3隻の船体をコンクリートで固めてできました。涼月と冬月は完全に水没しており、写真は柳の艦体(85.85m)です。
併設してある北九州市港湾局の看板には、「冬月と涼月は戦艦大和の直衛艦として一緒に出撃して大破しながらも奇跡的に生還した。」とあります。いろいろ調べてみると壮絶な戦いで多くの死傷者がでたとあります。
現在この一帯は良い釣り場として市民の憩いの場となっております。三艦が安らかな余生を送れることを願います。
*直衛艦
直衛とは、主隊の周縁部を占位して警戒などを行う部隊となっているので、そのための軍艦と思われるーネット調べ
*直衛艦
直衛とは、主隊の周縁部を占位して警戒などを行う部隊となっているので、そのための軍艦と思われるーネット調べ
©Yukina Ohashi
<北九州市港湾局の看板より引用>
この岸壁に出ている船体は、旧日本海軍の駆逐艦「柳」です。戦後間もない昭和二三年九月他の駆逐艦「冬月」「涼月」とともに、洞海湾を響灘の荒波から守る防波堤として沈められました。 北側の響灘は埋め立てられ防波堤の役割は終わりましたが、今でも「軍艦防波堤」と市民に呼ばれています。「冬月」「涼月」の二艦はこの手前の護岸の中に埋没していますが、この両艦は昭和二四年四月「沖縄特攻作戦」の戦艦大和の直衛艦として出撃し大破しながらも奇跡の生還を果した艦です。 なお、高塔山中腹にこの三艦の戦没者慰霊碑が建立されており、詳しい説明が書かれております。ー引用おわり