2014年2月4日火曜日


吉田磯吉翁は今も高塔山の上から若松を睥睨している。
最近では、吉田磯吉という名前を聞いても、知らない北九州の人たちが増えているのが嘆かわしいが、天下に名を轟かせた大親分であり、若松や北九州の発展に尽力、その後、政界へ進出して衆議院議員となった。葬儀の時には、東京から若槻礼次郎首相も駆けつけ、数万人の若松市民が見送ったという。
遠賀川の「かわひらた船」を十代の頃から漕いで身を起こして、勃興する若松の港とマチを仕切る。火野葦平の『花と龍』にも登場するように遠賀川流域の男伊達の気性、川筋気質の川筋モン。近代ヤクザの祖とも言われている。

侠客の条件―吉田磯吉伝』猪野 健治 に詳しい。

そして吉田磯吉と杉山茂丸の関係についても触れておきたい。
二人は芦屋で幼少時を育った悪ガキ仲間だった。杉山茂丸のほうが年長で家格も上だったので、吉田磯吉は第一の子分のような関係であったという。二人は長じて再会し、終生交友を続けることになる。

杉山茂丸 ―夢野久作をめぐる人びと






この吉田磯吉の子息が、吉田敬太郎で戦時中には衆議院議員だったが、東條英機と対立して牢屋やぶちこまれる。戦後は、若松市長になり、北九州5市合併に尽力し、初代の北九州市長となるが、すぐに引退して、その後は牧師として活動した。

『汝復讐するなかれ』吉田敬太郎


© Junichi Nochi(野知潤一)
 
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